この世界に生きることはこの世界が成り立っているリズムを学び、そのもとに生きる事。重力、身体感覚や諸々の環境や文化的背景、これらが僕らという存在を成り立たせる。
人々は寄り添い合い、相互の関係がより円滑に活性化するように規則をつくる社会的な動物。
ぼくはこの地に生まれてから、今もこれからも、まったくの社会的動物だ。
そもそもこのような言葉を使い、緻密に文を構成するということがそうだし。
予定調和の日常の中の何でもないキッカケから、ある一定のリズムを刻むこの世界への認識が揺らぐことがしばしばある。
明らかに自分のいままでの認識と目の前に広がる世界との認識が合致しないような、何か魂にでもなったような気持ち。
そんな時はとても不思議だと感じていながら、とても自然な気持ちでもある。
そんな時に思うことや気にかけることを僕は大事にしている。
なぜなら、それらを僕は日常に浮かぶ幾多の恣意的な感情とは分け隔てて考えているから。
そしてそのような感情が僕という生き物の根源を表わし、ぼくという存在を然るべきどこかへと導いてくれる鍵となるから。
それにしてもいつも不思議なのは、このような感情は自ら考え絞り出すというものではなく、まるでふと誰からか突然のプレゼント受けたかのように、いつでも与えられるものなのだ。